振り返ってみると私が歯科医師になろうと思ったきっかけは、小学校から、中学校まで矯正治療で歯科医師である伯父のところへ通っていたからかもしれません。しかしもっと直接的な原因は、機動戦士ガンダムという昔の人気アニメ番組のプラモデルいわゆる、「ガンプラ」と呼ばれているものがブームだったときに、試しで出したコンテストで1位になったことです。これも恥ずかしい話ですが、親と親戚が、手先が器用と思いこみ、歯科医師の伯父も「向いている」と太鼓判。自分でもその気になった、というのが今の職業を意識した初めてのことかもしれません。
高校に進学すると、そのことはもうすっかり忘れ、クラブ活動のサッカー漬けの毎日でした。
しかし何の因果か、本当に歯科大学に行くことになりましたが、勉強には打ち込まず北海道まで自転車で行ったり、友達と海や山に、またその費用を稼ぐのにアルバイトの方が忙しい毎日という有様でした。幸い留年をすることもなく、国家試験も一回で済んだのですが、必要なところだけ、無駄な労力は使わないように、というような効率重視、試験対策のための「勉強」ということで、まだ自分も世の中で暮らしていく、また世の中に貢献する、といった「仕事」という考えはない状況のまま研修医時代へ。
歯科といっても様々な専門は分かれているのですが、医師であれば、内科、外科、などの区別、また脳、消化器、皮膚、目などの器官による分け方がありますが、歯科の場合はもうすでにお口の中や、周りに限られた専門家として教育を受けていると思っていましたので、患者さんのお口の健康に関して全体を通じて向き合えるような歯科医師になりたいと思っていました。漠然とですが自分の考えに合っているのは、歯科の中の限られた専門をいきなり学ぶのではなく、体全体における口の中の専門家というイメージだったので、医学部の付属病院に研修先を選び、そこで研修をすることになりました。
まずは医局の先輩の先生のお手伝いや、見学、あと週に何回かある手術の手続きの書類を揃えたり、ということから始まりました。物覚えも決して早いとは言えず、社会人としての覚悟も定まっていない私は怒られることもしばしばありました。
そんなときの逃げ場が入院患者さんのところでした。歯科でもお口の中におできができたり、顎の骨を折ったりすると手術が必要です。そのための術前検査や手術が終わったあとの容態を確認を行ったり、また糖尿病などの全身疾患がコントロールされているかどうか等で血液を採取したりするのに、入院患者さんの病棟に出入りすることがありました。
新人で技術も現場の知識もないので、やることは歯科治療の補助と、検査のための血液採取、手術の補助などが担当でした。医局という先生が集まっている控え室みたいな所にいると、自分の机もなく居場所も確保されていませんでした。しかし暇そうにしていると怒られます。
そんな時に入院患者さんのいる病棟に行けば、さまざまな方と会い刺激を受けることができました。歯科ではお口の周りの病気やケガで、お食事をする際のお悩みや制限がある方が多かったのですが、それでも退院間近になると、お見舞いに食べ物を持ってくる方が多かったです。。また他の科でも、食事の出来る方へののお見舞い品はやはり食べ物が多かったです。また食べられなくても、
「退院したらあそこのお店の、ケーキ食べに行こうね。」とか
「あそこの親子丼が食べたいな」
などの食にまつわる会話は一番多かった気がします。今まで自分はそんなに食にはこだわっておらず、正直意外でした。映画を見たいとか、お洒落な街に行きたいとか、泳ぎに行ったり、遊びに行ったりとかそういったことの欲求の方が強いと思っていました。しかし体の不具合がある方は比較的40歳から60歳ぐらいのミドルエイジ以降の方が多く、そうなると美味しいものを食べるというのは身近で感じられるとても幸せで優先順位が高い楽しみのようでした。
そんなことを考えるようになってから過ごすようになると、外来と言われている、患者さんを治療する施設がある場所の入院患者さんが来ると親しみが湧いてくるようになりました。ただ歯科のカルテだけを見るのではなく、もともとの科のカルテ(他の科、例えば内科などから、どこそこを治療して欲しいなどの依頼の場合には依頼元のカルテが付いている事があった)も目を通すことがあたりまえになってきます。いろんな患者さんが来ますが、やはり気になるのは管がいっぱいついている方です。カルテを見ると完治はむずかしく、命には限りがある、と実感するような病名もあります。そんな方の願いは外には出られないけれど、少しでも食事がおいしく頂けたらということでした。入れ歯などはつくるのにも時間がかかり、調整も時間がかかります。保険診療のように制約があればなおさらです。
そんなとき車椅子で看護師に押されて来る方などは
「きちんとしておけばよかったなー」
などとこぼしているのをよく耳にしました。
担当の看護師にはグチもこぼせたのでしょう。
そうすると看護師も
「娘さんのお稲荷さん食べられるようになれるといいね。」
などと返しています。
そうなのです。入退院を繰り返している方や、最後の晩餐とまではいきませんが、それにちかい方は、有名なおかしや、料亭の豪華な料理などではなく、思い出の料理、正確には思い出の料理にまつわる記憶が大切なのだと思い知りました。
「これを食べて運動会いったね。」
「お正月はいつもこれだったね。」
「いつもちょっとしょっぱいよ。でもこれがうちの味だもんね。」
などいろいろいいながら、話しながら。記憶をたどっているのです。おおげさにいえば、人生をたどっているのだと感じました。ここから私は自分の選んだ「仕事」とは人々にとってかけがえのないものだ、との確信が持て。スイッチが入ったような気がします。といってもすぐに技術も知識も習得できるわけでもなく。またできない自分にもうんざり気味だったので、すぐに優等生になれるわけでもありませんでしたが。少しずつでも患者さんに貢献できると思えるまでには時間がかかりました。最初の研修先は、家庭の事情で長くは研修できませんでしたが、「食のあり方」や「人生の中でのお口の健康」を考えさせていだだきました。
ドクター・ハロルド・ワース
『人間にとって、口は会話を楽しみ、愛を語り、しあわせ、よろこび、怒り、悲しみを表す。口は愛の入り口であり、たべものをとり、生き、そうして人間は栄えていく。だからこそ、口はどんな犠牲を払おうとも、十分な注意と管理を受けるだけの価値を持っている。』
「すべての歯は他の臓器と同じく生涯とともにあるべき」と唱えた方ですが、私も同感です。
私はその後新しい治療法を習得するのに研鑽を重ね、お口の健康のスペシャリストになるべく努力を重ね、ときにはアメリカやヨーロッパにも研修にも行きました。技術、知識は自分の問題として済みますが、問題は患者さんとなる「あなた自身」がいかに慢性疾患が大半であるにお口の病気に向き合うか。価値を知り心から「お口の健康」があなたの人生とともにある。=「口福」を手にれたいと思うかが非常に大切です。
しかし歯科医療は医療者側が手を加える。「外科処置」が一般的で、いままでの「古典的伝統を引き継いだ歯科医療」では。「DULILE(削る)FILL(詰める)BILL(請求する)」という原則に従って行くだけでは「あなたの思い」「あなたの個別の状況」リスク判断からわかる「現在から将来への可能性の幅」などあなた自身が自分の臓器、もっと簡単に言えば自分の体をどの程度分かっているか、ということを話し合う場がないという現実があります。すぐに「削って詰める」では細菌にやられたあとの「後始末」です。大切なのはそのイタチごっこから、悪くなった原因を確かめ改善し「よくなった現在」をいかに維持して食べ、おしゃべりをして、笑うかだと思いませんか?
病気のほうが心地よい、不思議。
お口の中は「慣れ」ということがキーワードになってます。外から異物が入ってきた場合には、髪の毛一本でもお口に入ると気持ち悪く感じる非常に敏感なところです。しかし長い間かけてなった病気はあきらかに異常でも、たとえば歯が抜けっぱなしで、アゴがずれていても、大きな歯石がべったりついていても、慣れてしまって、不快に感じないのです。慢性疾患の原因菌にとって好都合な環境なのです。
想いを伝えたい、共感したい!
あなたのお口の中でなにが起こっているか知ってみようという準備はととのっているでしょうか?確かに治療をすれば痛いこともあります。費用も時間もかかります。しかし「想い」を伝える。あなた自身の考え、「あなたらしさ」を伝えるのは口なのです。
さてここまでお読みになって、私にどのような感想や、イメージを抱いてくださっているのでしょうか。
「へえ、そんなこと想いながら仕事をしているのか。」
「先生なんてかしこまっているけど、意外とふつうだな。」
そんなふうに感じてくださっているのかも知れませんね。
いかがでしょうか・あなたはいま、何を感じていますか。どんなことを想っていますか。想いを伝えるお口。またその健康を維持する。素晴らしいことだと思いませんか。